首里城京の内跡出土陶磁器/タイ産褐釉陶器・タイ産半練土器
- タイ産褐釉陶器は、沖縄島北端の今帰仁城跡(沖縄県今帰仁村)から日本最西端の与那国島慶田崎遺跡の合計18遺跡で63点確認されています。首里城京の内跡からは出土状況から76点が最小個体数として考えられ(復元可能な資料は6点、285片)、タイ産半練土器の蓋が推定で67個体出土しています。なお、最も新しい時代の褐釉陶器壺は南風原町のクニンドー遺跡資料で、16世紀末から17世紀初頭のものと考えられています(1998年当時)。
- 首里城京の内跡出土のタイ産褐釉陶器の主体は外反型の壺で、器形はクニンドー遺跡出土品とは異なり、糸満市糸洲グスク資料と類似します。
- タイ産褐釉陶器の利用方法については、金武正紀氏の論文「沖縄出土のタイ・ベトナム陶磁」の中で今帰城跡出土の資料について、「歴代宝案に記録されている香花酒をタイの大型褐釉陶器四耳壺にいれ、半練(土器)で蓋をしてタイ国から琉球国に持ち込まれた」とし、京の内出土のタイ産褐釉陶器壺も同様に酒壺として利用していたと考えられています。
- 京の内跡出土のタイ産褐釉陶器には、国内の遺跡から出土例の無いクメール文化の影響を受けたものが含まれており、近年の研究によりタイを含む東南アジア地域以外で初めて確認された、クメール王朝(現在のカンボジア)のブリラム陶器であることが判りました。
- 京の内跡のタイ産褐釉陶器の年代については、今帰仁城跡の資料等を勘案すると14世紀後半まで遡ることが可能と考えられています。なお、京の内跡出土の大部分は尾崎直人氏によるとタイのスコタイ県のシーサッチャナライ窯群のコ・ノイ窯の所産であるとの指摘があります。
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