沖縄の伝統工芸(でんとうこうげい)
焼物(やきもの)
焼物は、沖縄では「ヤチムン」とよばれています。焼物が沖縄に伝わったのは、今から500年前の14~16世紀。当時の琉球は、中国や東南アジアとさかんに行き来していたことから、焼物の作り方も入ってきたと考えられています。
1609年に薩摩(さつま:現在の鹿児島県)が琉球を治めてからは、朝鮮(ちょうせん)から技術者をよんだりして学んだため、独自(どくじ)に発展しました。
沖縄の代表的な焼物が、現在の那覇市にある壺屋(つぼや)で作られる壺屋焼で、国王が国をあげて生産にあたらせたものです。現在でも焼物の町として知られる壺屋には、地元の人ばかりでなく、多くの観光客もおとずれています。
染織物(そめおりもの)
琉球王国がさかえた14~16世紀ごろは、中国や東南アジア、インドとさかんに取引を行っていたため、これらの地方から絣(かすり)や、染織(そめおり)の技法も琉球にもたらされました。これらの技法は、琉球王の保護(ほご)を受けながらさらに発展(はってん)し、琉球独特(どくとく)の染め織り文化を作り上げました。
沖縄でただ一つの染物「紅型(びんがた)」、インドから伝わったとされる「琉球絣(りゅうきゅうかすり)」、沖縄でただ一つの泥染め「久米島紬(くめじまつむぎ)」のほか、「芭蕉布(ばしょうふ)」「宮古上布(みやこじょうふ)」、「八重山上布(やえやまじょうふ)」、「花織(はなおり)」、「ミンサー」など、沖縄の染織物の種類は、非常にほうふです。
漆器(しっき)
漆器(ウルシをぬって仕上げた器具)は、沖縄では14世紀に作られるようになりました。その技術は中国から伝わったものですが、「琉球漆器」としてどく自に発てんし、外国に売れるほどの技術の高いものも作られるようになりました。その中でも「堆錦(ついきん)」は琉球で産み出された漆器をかざりつける方法です。
琉球ガラス
沖縄でガラスの製造がはじまったのは明治時代の末期頃とされ、当時は透明な薬ビンや菓子ビンなどが作られていました。戦後からは使用済みのビンを利用したガラスの製造も行われ、しばらくすると色付きガラスが琉球ガラスとして広まっていきました。現在では多くの製品が珪砂(けいさ)や石灰(せっかい)などをまぜた原料で製造されており、色鮮やか(あざやか)なガラスや製作体験が観光客に人気です。
三線(さんしん)
14世紀末頃に三線の原型となる楽器が中国から琉球に伝わり、15世紀頃に三線が生まれたとされ、現在まで三線製作(せいさく)の技術が受け継がれています。三線は、沖縄の伝統芸能である組踊(くみおどり)やエイサー、民謡(みんよう)などで演奏(えんそう)されるだけでなく、近年ではポップスにも用いられ、飾らない美しい音色(ねいろ)が多くの人々を引きつけています。
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