海外移民と国際交流

ページ番号1002707  更新日 2024年1月11日

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周りを海に囲まれた沖縄県は、中国や東南アジア諸国をはじめとするアジアの国々と、古くから交流してきました。また、戦前・戦後を通じて、たくさんの県民が海外にうつり住んだことから、ハワイや北アメリカ、南アメリカの国々との交流がふえてきました。

現在では、国際協力として開発なかばの国々から研修生などを受け入れ、それらの国々の経済や教育などの発展に力をかしています。

これからも、沖縄県はアジアや太平洋地域の交流や協力のため、いろいろな取組を行っていきます。

沖縄から海をわたった人たち

働き口を求めて、日本人が海外へうつり住んだのは1868(明治元)年が最初で、場所はハワイでした。

沖縄では、1899(明治32)年12月5日に、27名がハワイに出発したのが初めてのことです。1903(明治36)年には、第2回ハワイ移民(いみん)40名が、金武町(きんちょう)出身の当山久三(とうやまきゅうぞう)に連れられて旅立ったほか、アメリカ本土へも51名の人が初めて海をわたりました。

1923(大正12)年ごろからは、アメリカやカナダで日本人をしめだす運動がはげしくなったため、沖縄県からの移民は南アメリカ中心になり、ブラジルやペルーなどに、多数の人々がわたりました。

1948(昭和23)年には、戦後初めての移民33人がアルゼンチンへわたり、ボリビアなどへもぞくぞくと人々がうつり住みました。1958(昭和33)年をさかいにして、海外へわたる人々は減りましたが、留学や仕事で海外に移り住む人は多くいます。

写真:像
当山久三の像

世界のウチナーンチュ大会

沖縄の方言でウチナーンチュとよばれる沖縄の人たちは、明治時代の中ごろから、南アメリカや北アメリカ、ハワイなどへわたって、大勢の人が働いていました。その家族は、現在世界中に42万人ほどいるといわれ、それぞれの国で活躍(かつやく)しています。

沖縄県では1990(平成2)年、世界中にいるこれら沖縄出身者やその家族を沖縄にまねき、「第1回世界のウチナーンチュ大会」を開きました。

17か国から2397人の人々が参加したこのイベントは、海外に住む沖縄出身者のネットワークをつくることを目的にしたもので、地元の人々とあたたかな交流を深めました。このあと、1995(平成7)年に第2回大会、2001(平成13)年に第3回大会、2006(平成18)年に第4回大会、2011(平成23)年に第5回大会、2016(平成28)年に第6回大会が開かれ、世界各国からおとずれたのべ2万6千人のウチナーンチュとの間に多くのふれあいが生まれました。

2016(平成28年)年に行われた第6回大会では、10月30日を「世界のウチナーンチュの日」とさだめ、海外移民やその子孫、県民や沖縄とつながりのある人々と、文化や経済をとおした交流がますます活発になるよう色々な取組を行っています。

写真:大会の様子1

写真:大会の様子2

写真:大会の様子3
第6回世界のウチナーンチュ大会の様子

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