農業研究センター名護支所
- 所在地
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〒905-0012 沖縄県名護市名護4605-3
- 電話
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0980-52-2811
- ファクス
-
0980-53-6293
技術相談
関連資料
関係機関
名護支所の沿革
- 明治14年(1881)
- 国費経営農事試験場を設立。
- 明治41年(1908)
- 県立農事試験場となる。
- 明治45年(1912)
- 県立糖業試験場となる。
- 大正04年4月(1915)
- 県立糖業試験場名護試験地を名護村字東江に設置。
- 大正05年4月(1916)
- 県立糖業試験場名護試験地を名護支場と改称され、普通農事の試験を開始する。
- 大正08年4月(1919)
- 県立糖業試験場名護支場の業務拡張に伴い、糖業試験場より分離し、県立農事試験場と改称。
- 大正09年(1920)
- 県立農事試験場に茶業部を新設。
- 大正13年4月(1924)
- 県立農事試験場の業務拡張に伴い、本場を名護から宜野湾市普天間へ移転し、名護は支場となる。
- 昭和06年6月(1931)
- 県立糖業試験場と県立農事試験場の合併により、国頭試験地となる。
- 昭和09年4月(1934)
- 沖縄県立農事試験場国頭試験地を国頭支場に改称する。
- 昭和14年9月(1939)
- 第2次世界大戦
- 昭和20年7月(1945)
- 国頭農事試験場を名護町に復活し、従来の水稲、果樹、茶業に経営、養蚕及び畜産の各部を配し、試験研究業務を開始する。
- 昭和21年2月(1946)
- 北部農林高等学校が創立され、3ヵ年間当場に併設の後で、屋部村に移転。
- 昭和25年4月(1950)
- 琉球農林省の発足と同時に国頭農事試験場を名護農業研究指導所と改称。国頭農事試験場養蚕部は与儀農業研究指導所に合併。
- 昭和26年4月(1951)
- 沖縄群島政府の創立により、名護農業研究指導所は沖縄群島政府農業研究指導所に改称創立。
- 昭和27年1月(1952)
- 畜産部は琉球種畜産場として羽地村伊差川に分離独立。
- 昭和27年4月(1952)
- 琉球政府の創立に伴い、沖縄群島政府農業研究指導所は資源局名護農業研究指導所に改称。
- 昭和28年10月(1953)
- 地域農業研究指導所の統合により、与儀農業研究指導所は中央農業研究指導所とし、当所を名護農業研究指導所と改称。
- 昭和29年2月(1954)
- 果樹試験の拡張のため、本部町伊豆味試験地を開設。
- 昭和33年2月(1958)
- パインアップルと果樹の産地開発のため、今帰仁村字玉城に呉我山試験地を設置。
- 昭和36年8月(1961)
- 機構改正により、中央農業研究指導所を琉球農業試験場とし、名護農業研究指導所を名護支場と改称。
- 昭和39年10月(1964)
- 琉球農業試験場与那覇岳試験地を名護支場に移管。
- 昭和45年7月(1970)
- 茶樹種苗増殖事業の完了に伴い、与那覇岳試験地を廃止。
- 昭和47年5月(1972)
- 本土復帰に伴う機構改革により、沖縄県農業試験場名護支場と改称。北部病害虫防除所を併置。
- 昭和51年11月(1976)
- 名護支場伊豆味試験地は業務の完了により廃止。(23年の幕が降りる)
- 昭和53年4月(1978)
- 組織改正により、パインアップル、果樹、水田作、茶業及び畑作の研究室が設置され、1課5研究室となる。
- 昭和54年4月(1979)
- 共同実験室<本館>の完成に伴い、事務所を名護市字名護4605番地の3の現在地に移転。農業技術展示館が新設される。
- 昭和58年3月(1983)
- 組織改正により、呉我山試験地が廃止される(26年の幕が降りる)名護支場に熱帯果樹研究室が新設され、1課6研究室となる。
- 昭和62年4月(1987)
- 組織改正により、名護支場に果樹育種研究室が新設される。又、果樹研究室と茶業研究室が統合され、果樹茶業研究室となる。
- 平成01年4月(1989)
- 果樹育種研究室にパイン育種指定試験が設置される。
- 平成17年4月(2005)
- 組織改正により、農林水産部から企画部に移行。
- 平成18年4月(2006)
- 組織改正により、沖縄県農業研究センター名護支所に改称するとともに、1課6研究室体制から3班制(業務班、果樹班、作物園芸班)に移行。
- 平成24年4月(2012)
- 組織改正により、企画部から農林水産部に移行。
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