国際交流員の声(2021年8月)

ページ番号1009855  更新日 2024年1月11日

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大家好!(ダージャーハオ)中国交流員のシャオです。皆様もご存知かと思いますが、先月中国福建省福州市で開かれた第44回世界遺産委員会会議で、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」が世界自然遺産に登録されました!(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ
世界的に価値があると認められ、「島の宝」から「世界の宝」へと引き継がれることは、この島の魅力をより一層世界に発信することにつながると思います。実は同会議で故郷泉州の「宋・元時代の中国における世界のエンポリウム」も世界遺産への登録が決定されましたので、この機に乗じて皆様に福建省にある世界遺産をまとめて紹介したいと思い、下記の文章を投稿することといたしました。

複合遺産 武夷山(ぶいさん)(1999年)

福建省の南西方向に位置する武夷山は、省内で初めて登録された世界遺産です。日本人の友人に聞くと、多くの方はサントリーウーロン茶の名作CM(1990年)をきっかけに、福建省や武夷山に馴染みを持ち始めたそうです。BGM「遥かなる武夷山」のゆったりとしたリズムによって、自分自身もその碧水丹山(青い水と赤い山)の絶景を飛び回っている気分になります。くねくねと曲がる川が山を縫うように流れていて、「武夷九曲」と称えられる奇観が見られます。また、豊かな自然環境の中で、多様性のある貴重な動植物と出会えることも武夷山観光の一つの目玉です。竹製いかだに乗って、お茶を飲みながら、また、川の流れる音を楽しみながらその水墨画のような世界に迷い込んでみませんか。

写真:武夷山 九曲渓いかだ下り

文化遺産 福建土楼(ふっけんどろう)(2008年)

写真:福建(南靖)土楼 四菜一湯

12~20世紀にわたって建てられた土楼は「客家(はっか)」の伝統住居です。中国人はよく「四菜一湯」という言葉を使って写真に映っている土楼の構成を表します。(四つの料理に一つのスープということで、宴会の際の料理の数とされる。)このような建物は実際に福建省に多くあり、そのうちの代表的な46棟が世界遺産に登録されました。巨大な建物には800人が一度に暮らせる機能が備わっており、特殊な共同生活様式と民俗文化が形成されています。外敵から身を守るために、窓は少なく入り口は通常一つという防衛体制も一つの特徴です。観光地のほか、映画のロケ地としても近年非常に注目されています。去年上映された映画「ムーラン」の実写版もここでロケを実施しました。

写真:福建土楼の内部構造

自然遺産 中国丹霞(泰寧丹霞)(2010年)

丹霞とは、言葉の表向きの意味は「朱色の霞」を示しますが、地理用語としては写真の通り特別な地形的特徴と独特な赤色を持つ地形景観を指しています。要するに地球内部の力と、風化や浸食など外部からの要因を受けて形成された堆積層です。中国で世界遺産に登録された丹霞地形は6箇所ありますが、福建省の泰寧丹霞は国内で最大規模を誇り、奇抜で壮観な岩が数々あり、最も広大な水面を持つところが特徴です。その地形は自然と時間が造り出した傑作とも言え、幻想的な空間だと思います。その壮大な景色に身を置くと、体も心も洗われるような癒しを体験できると思います。

写真:福建泰寧丹霞地形の鳥瞰図

文化遺産 歴史的共同租界、鼓浪嶼(コロンス島)(2017年)

写真:コロンス島の一角

鼓浪嶼(コロンス島)はアモイ市沖に浮かぶ小さな島です。アモイ市内から一番短い直線距離でわずか1キロ未満ですが、本土と繋がる橋はなく、フェリーが唯一のアクセス手段になっています。面積1.88平方キロメートルのこの島は観光名所として、年間1000万人以上の観光客を迎えています。それほど人気がある理由は、ここに集まる世界の多種多様な歴史的建築物にあります。


写真:風情のあるコロンス島と対岸の都心部

近代以降、コロンス島は「共同租界」になって、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどの13カ国が次々と領事館を設立しました。その歴史的背景によって、中国、東南アジア、西洋との建築様式が混ざり合い、エキゾチックな街並みが見られます。世界遺産に登録された年がちょうど沖縄県と福建省友好締結20周年にあたり、沖縄からの訪問団(団長・翁長前知事)は記念事業の一環として、アモイにあるMICE施設やクルーズ船の母港を含めコロンス島の視察も行いました。


文化遺産 泉州:宋朝・元朝における中国の海洋商業貿易センター(2021年)

10~14世紀に国際貿易都市として栄えた泉州市は「海上のシルクロードの起点」、「刺桐城」(デイゴジョウ)などの別名を持っています。今回世界遺産に登録された遺跡群は22か所の史跡から構成されています。下記の遺跡の写真を見ていくと、往時の繁栄ぶりも頭の中に浮かんでくるでしょうか。実は琉球王国と中国の交流史が刻まれた進貢使路(しんこうしろ)の中で、泉州も重要な拠点になっています。琉球専用の受け入れ港は1472年に福州に移る前には泉州にありました。いまだに泉州市内には当時琉球王国の使節が来航し宿泊していた「来遠駅」跡も残されています。また、沖縄県立博物館の各種屏風図や福建省泉州海外交通史博物館の船型をみると、琉球大貿易時代に活躍した交易船「マーラン船」の造船方法も泉州市から伝承されたものだと推測できます。

写真:遺跡1

写真:遺跡2


幼い頃から故郷を離れほかの都市の学校に通っていたので、正直なところ泉州についてあまり精通していなかったのですが、今回この文章を作成している中で、泉州や泉州と沖縄の間に絡み合っている様々な糸筋が明瞭になって、心の中で誇りを感じるとともに、故郷が懐かしくなりました。下町の細い路地や、情緒あふれる赤レンガ造りの古い建物、ちまきの香りが漂う道端の屋台などは、いずれもこの味わい深い町のチャーミングな光景です。

コロナが収束したら、皆様もぜひ福建省に足を運んでみてください。

谢谢!!(シェーシェー)

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最後までお読みいただきありがとうございます。来月は韓国の情報を発信する予定です。どうぞ楽しみにお待ちください。^^

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