沖縄県の戦争遺跡

ページ番号1009723  更新日 2024年1月11日

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戦争遺跡とは

沖縄県における近代遺跡の中でとくに知られているものの中に沖縄戦に関係する戦争遺跡があります。それは沖縄本島から八重山諸島にかけて979ヵ所も存在しています。

沖縄本島及び周辺離島

沖縄本島及びその周辺離島では882ヵ所確認されており、その特徴として大規模な地上戦が展開されたことから様々な種類の戦争遺跡を見ることができます。最も有名なものとしては壕が挙げられます。壕と一口に言っても軍が構築した人工壕や住民が避難するために構築した壕など、その形態や使い方は多種多様です。とりわけ沖縄本島中南部では地上戦が激しかったため、内部は使用した当時の状態で放置されている壕を多く見ることができます。これら壕以外にも旧日本軍が構築した砲台跡や塹壕、トーチカ、兵舎跡、掩体壕、タコ壷なども沖縄本島及びその周辺離島各地で見ることができます。

写真:住民避難壕
住民避難壕:石垣氏宅の避難壕3
写真:陣地壕
陣地壕:首里第32軍司令部壕

宮古諸島

宮古諸島では66ヵ所の戦争遺跡が確認されており、その特徴として米軍上陸が想定されていたこともあり、旧日本軍構築による大規模な戦争遺跡を見ることができます。当時軍関係者が3万人も在駐していたことから島そのものが要塞化していたと言うことができます。宮古島においては海岸部から内陸部にかけてほぼ全域に壕やトーチカを見ることができます。

八重山諸島

八重山諸島では111ヵ所の戦争遺跡が確認されており、その特徴としてマラリア被害の舞台となった内陸部の避難地や住民避難壕、更には旧日本軍構築によるゲリラ戦を見越した陣地跡が主な戦争遺跡として挙げることができます。西表島の西部には台湾や更に南方に物資を送るために構築した要塞跡を今も見ることができます。

写真:要塞施設
要塞施設:船浮要塞第4管区東側砲台11

戦闘目的以外の戦争遺跡

また戦闘のため、もしくはその過程でつくられた施設以外にも、沖縄戦ひいては太平洋戦争を知る上で重要とされる遺跡も沖縄県内には多く残っています。例えば国威高揚のために構築された忠魂碑や奉安殿、弾痕の残る建物や堀、爆弾による陥没穴といったものがあります。どのようにして戦争へと向かっていったのか、そしてどのような空襲による被害を受けたのか、当時の状況が具体的に分かるものに関しても戦争遺跡としてとらえることができます。戦争体験者の高齢化により聞き取り調査が困難になってきている昨今、沖縄県の戦争遺跡は沖縄戦の事実を伝える遺跡として、ますますその重要性は高まっていくでしょう。

写真:石碑
石碑:福里公園の忠魂碑1

もっと詳しく知るために

  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2001 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅰ)-南部編ー』 沖縄県立埋蔵文化財センター
  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2002 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅱ)-中部編ー』 沖縄県立埋蔵文化財センター
  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2003 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅲ)-北部編ー』 沖縄県立埋蔵文化財センター
  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2004 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅳ)-本島周辺離島及び那覇市編ー』 沖縄県立埋蔵文化財センター
  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2005 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅴ)-宮古諸島編ー』 沖縄県立埋蔵文化財センター
  • 沖縄県立埋蔵文化財センター 2006 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅵ)-八重山諸島編ー』 沖縄県立埋蔵文化財センター

(2015年 山本正昭)

このページに関するお問い合わせ

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