グスク時代
グスク時代とは
グスク時代は、グスクと称する城塞的遺構を象徴して名づけられました。なお、沖縄本島以外ではグスクではなく、奄美では城館、先島ではスクなどと称する場合もあります。この時代の年代観にはいくつかの見解がありますが、おおむね12~16世紀頃までを示し、日本史の中世に相当します。
グスクとは
本時代を象徴するグスクは、丘陵地に築かれることが多く、石塁や土塁などを巡らし、城塞としての役割をもつと考えられています。グスク内からは、生活の痕跡を示す陶磁器や獣魚骨が大量に出土することが多く、さらに現在まで残る村落の拝所(御嶽)として聖域となっているものが多いです。これらのことから、グスクの性格を巡り、城塞、防御集落、聖域といった説が考えられています。なお、近年では城塞としてのグスクはおおむね14世紀ごろに登場するという見解が支持されています。
グスク出現以前
それでは、グスク登場以前の12・13世紀もグスク時代と考えられているのはなぜでしょうか。それは、グスクの存在以外に、本時代の大きな特徴として次の2つが考えられており、12世紀ごろから確認されているからです。
第一は、本格的な農耕生産が始まっていることです。グスク時代の遺跡では、コメ・アワ・ムギなどの炭化種子が出土し、低地や谷地で水田跡や畑跡も確認されております。前者は宜野湾市新城下原第二遺跡(写真1)で、杭列や畦により方形の区画をもった水田跡が確認されています。列状ピット群と呼ばれる無数の小穴が見つかっており、穀類などを播種もしくは植栽した穴と考えられています。
第二は、これまで別個の文化圏であった奄美・沖縄・先島の3つの地域で、共通する物質文化が存在したことです。それは、徳之島産カムィヤキ陶器(類須恵器)、長崎産滑石石鍋、中国産陶磁器(白磁)で、これらを模倣した土器も各地域で見られるようになります。これらがもたらされた要因は様々な見解がありますが、東アジア間の広域交流に琉球列島も組み込まれたものと考えられます。また、これまでにはなかった規格性の高い掘立柱建物、畑跡や墓などが近辺に位置する集落が、やはり12世紀ごろに登場します。
グスク全盛期
さて、グスクは概ね14世紀に各地で多く作られますが、文献史で三山時代とする時期に当たります。沖縄本島において、山北(国頭地域)では今帰仁グスク、中山(中頭地域)では浦添グスク、山南(島尻地域)では島添大里グスクなどが代表的なものとして知られます。一方、後の琉球王国の王都である首里城は、14世紀後半以降に大規模なグスクになっていたことが知られます。特に、京の内地区では15世紀代の大量の陶磁器がまとまって出土し、その中には類例が非常に少ない中国産の元青花や紅釉などの他、ベトナムやタイ、日本などの製品も確認されています(写真3・4)。同時代に鋳造された首里城正殿にかけられていた「万国津梁」の梵鐘の銘文にうたわれる万国の架け橋として広く交易を行ったことを示す資料です。また、首里城の隆盛と合わせて、那覇港も14世紀後半以降に大きく発展したことも那覇市渡地村跡(写真5・6)の調査で分かりつつあります。
グスク時代終わり頃
16世紀になると、首里城以外のグスクでは遺物の出土が少なくなり、その利用が途絶える場合が多くなります。各地域ではそれまでの集落やグスクと異なった現在の集落や市街地に近い場所において、集落が営まれるようになりました。首里城・那覇港の発展と共に、各地域の集落が編成された結果とも考えられます。
(2015年 瀬戸哲也)
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