首里城と京の内
首里城は那覇市首里当蔵町に所在し、伝承では14世紀中頃に察度(察度王統:西暦1350~1405)によって築城された琉球国王の居城で、沖縄県内最大のグスクです。1406年に佐敷按司の尚巴志が中山王武寧(察度王の世子)を滅ぼした後、統一国家としての琉球国(以下、琉球王国と表記)の拠点となりました。その後首里城は、琉球処分によって最後の琉球国王尚泰が首里城を明け渡した1879年までの約年間琉球王国の王宮として政治・文化・経済の中として機能していました。
沖縄戦前の首里城は、正殿・瑞泉門などが国宝指定を受けていましたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦によって多くの建造物が焼失し、戦後は琉球大学のキャンパスとして使用されました。
1972年(昭和47年)の本土復帰直後から、復元整備が進み現在の首里城が復元されました。復元・整備作業の過程において「京の内」についても1994年~1997年の4カ年間遺構調査が実施されました。
「京の内」の名称の意味ですが、民俗学の示すところでは、降臨神が天降りする際に利用する小さな小島の事を「トングァ」とか「京」と呼ぶようです。その他、察度の築いたと思われる古グスクが後に“京の内”と称されています。「けお」は「セジ」の同義語として考えられ、“神または神の霊力”の意味をもち「けおのうち」は首里城内でも「神の霊力“セジ”のある場所“聖域”」として位置づけられています。
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