沿革(畜産研究センター)

ページ番号1011265  更新日 2024年1月11日

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明治27年
八重山登野城にあった農事試験場(元農産育種場)で、家畜に関する試験が開始される。
明治36年
真和志村(現那覇市)楚辺から那覇区(現那覇市)久茂地に移転した農事試験場で、養豚に関する研究及び種豚、山羊の飼育・配布が始められる。
明治44年
明治42年の特別県政施行により、県立となった農事試験場に畜産部が設置され、乳牛、馬、緬羊、家禽の研究が始められる。
大正10年4月
県立種畜場として独立、各種家畜の種付け及び種畜の繁殖・育成・配布を行い、併せて畜産に関する調査研究を実施する。
昭和20年8月
終戦。戦災のためことごどく灰燼に帰する。
昭和20年12月
田井等市(現名護市)振慶名の県立農事試験場跡に、国頭農事試験場が発足し、畜産部が設置される。
昭和21年7月
那覇市にあった与儀農事試験場が復活し、畜産科が設置され種畜業務が再開される。
昭和28年7月
羽地村(現名護市)伊差川にあった名護農業研究指導所の畜産科は分離して、琉球種畜場となる。
昭和29年7月
中央農業研究指導所(元与儀農事試験場)の種畜科が分離独立して琉球種畜場の本場となり、羽地村伊差川の種畜場は羽地支場となる。
昭和30年6月
石川市東恩納の民政府跡に石川支場を新設する。
昭和31年11月
平良市に宮古支場、石垣市に八重山支場が新設される。
昭和39年1月
琉球種畜場の本場が、南風原村(現南風原町)字新川に移転する。
昭和40年8月
琉球政府機構改革により、琉球畜産試験場と改称される。
昭和41年8月
農林局組織規則の一部改正により、本場にあっては、庶務課、大家畜室、中家畜室、飼料室の一課三室制度が設けられ、試験研究業務に対する一層の執務体制が整備される。
昭和45年10月
琉球政府組織法の一部改正により、各支場は分離独立して畜産指導所となる。
昭和47年5月
本土復帰により、沖縄県畜産試験場と改称される。
昭和51年3月
試験場移転用地及び職員宿舎用地を今帰仁村内に確保する。
昭和58年4月
今帰仁村に全面移転し、試験研究業務が開始される。
平成元年4月
沖縄県行政組織規則の一部改正により、バイオテクノロジー研究室を設置する。
平成9年4月
沖縄県行政組織規則の一部改正により、牧草育種研究室を設置する。
平成17年4月
沖縄県行政組織規則の一部改正により、農林水産部から企画部に移管される。
平成18年4月
沖縄県行政組織規則の一部改正により、畜産試験場から畜産研究センターに改称される。また、一課五室体制から、企画管理班、育種改良班、飼養・環境班の三班体制になる。

このページに関するお問い合わせ

沖縄県 農林水産部 畜産研究センター
〒905-0426 沖縄県国頭郡今帰仁村諸志2009-5
電話:0980-56-5142 ファクス:0980-56-4803
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。